写真の話(8・終)


 待合室に入った途端、私だけが世界から取り残されたような気持ちになった。辺りに人影はない。静かな空間のなかで、荒々しく息を切らせる私の姿だけが浮いている。
 電光掲示板を見上げる。一番上に載っているのは、午後一時発の新幹線。正午発の新幹線は、二十分も前にこの駅を出てしまっていた。
 がむしゃらに動かしていた足が崩れそうになる。ふらふらと端っこの椅子に腰を下ろすと、全身が鉛のように重く感じられた。前のめりに倒れそうな頭を何とか両腕で支えながら、必死に呼吸を整える。靴の先が汚れているのが見えて、私って馬鹿だ、と思った。ここまでして何を得ようとしていたというんだろう。それさえも、結局はこうして無駄になってしまったというのに。
 ぐわんぐわんとうねっていた頭のなかが、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
 
 私と香澄が最初の写真を撮ったのは、中学一年の夏だ。
 けれど、あのカメラに残った一枚目には、香澄の姿しか写っていなかった。おまけに背景は桜の木、紛れもなく春の風景だ。これは、どういうこと?
 香澄が私たちふたりを写すために使ったカメラと、私がこれまでに使ってきたカメラは、種類が同じだけの別物だったということ。それらが同じカメラだと誤解させるためには、カメラの残り枚数は一枚ぶん減っていなくちゃいけなかった。だから、私にカメラを渡す前に、香澄は自分の姿を撮って帳尻を合わせたんだ。
 ――何のために?
 
 写真が色褪せていてもいいと香澄は答えた。それは、香澄にとっての私が、必要な存在じゃなかったから? 取るに足りないものだったから?
 それとも――、本当は。
 
 ――待合室の扉が静かに開いた。
 キャリーケースを引きずるがらごろという音がして、私の隣に誰かが座る。私は俯いたままで大きく深呼吸をして、何でもないことのように尋ねた。
「お昼、って言ってなかったっけ」
「うん、お昼の一時」
「わざとでしょ」
「なんのこと?」
 聞き慣れたとぼけるような声。顔を見なくたって、どんな風に笑っているか見当がつく。
「家族とか、普通一緒じゃないの」
「だってねえ、おばあちゃんとこ行くだけだし、一人でいいよって」
「寂しくないの」
「そんなことないよ、だって」
 玲奈が待ってるような気がしたからね。
 隣に座った彼女は、独り言のように呟く。
「玲奈がここで待っててくれたなら、もう一回訊こうと思ってたんだ」
 誰をも惹きつけ、誰からも好かれる彼女。好意を向けられることを楽しみ、自分を好いてくれる誰かだけを必要とした彼女。
 彼女は、私からもそれを受け取ろうとしていたんだ。自分に向けられていた感情が、純粋な好意じゃなかったことを知ってしまったから。
 ――香澄には、私しかいないと思う。
 そんなことを言ったのは、彼女の恋人のなかでも、きっと私だけだったから。
「ねえ玲奈は、私のこと好き?」
 あのときは分からなかったその答えが、今ならはっきり分かる。
 彼女は、私にそれを自覚して欲しかったんだ。
 
 ――でもね、私だって最後くらいは、意地悪をしてやってもいいと思うんだ。
 だって、あんたも本当は、分かってしまっているはずだから。
 桜の散るあの日からずっと、私たちは気づかない振りをしていたんだって。
「香澄と同じだよ」
 俯いているせいで香澄の顔が見られないのが、少しだけ惜しかった。
 数拍の間をおいてから、そっか、と呟く声が聞こえる。それっきり、私たちの会話は途切れた。

 次の新幹線の時刻を告げるアナウンスが流れる。
 香澄は何も言わずに立ち上がり、それからキャリーケースの音だけが遠くに消えていく。再び静寂に包まれた待合室で、私は喉に詰まっていた息を大きく吐いた。ほんの少しだけ、身体が軽くなったような気がする。
 火照った身体がようやく冷めてきた私は、ふと、彼女が座っていた椅子に目を向けた。

 一枚の写真が、そこに残されている。
 きっとその写真は、今までずっと大切に保管されていたのだろう。五年以上の月日が流れた今になってもなお、色褪せることなく元の姿を保っていた。

 現像代の足しくらいにはしてやろうと思いながら、私は写真を手に取る。写真に写った私のぎこちない笑顔は、滲んで見えると余計におかしくって、私はただそっと微笑んだ。

写真の話(7)


 自転車を停めたところで、現像代くらいはせしめておくべきだったと後悔した。
 時刻はもうすぐ正午になろうとしている。香澄の乗った新幹線は、じきにこの街を発つだろう。私は見送りには行かず、こうして写真屋の入り口に立っている。
 やっぱり、受け取るべきじゃなかったかな、と思う。どうせ私が写っているのは一枚だけで、その写真だってあまりいい思い出ではない。第一、私がわざわざ手間隙かける義理なんてないのだし。
 頭のなかでどんなに理由を考えても、私が今ここに来た事実は動かない。溜め息を喉の奥に飲み込みながら、私は自動ドアのタッチプレートに手を触れた。
 
 結局、私は香澄に必要とされたがっていたのだ。
 私だけが香澄のほんとうを知っていて、香澄には私さえいればよくて、私だけが香澄の居場所になれるのだと信じ込んで。
 だから私は、香澄が新しい恋人を作ったところで、何とも思わなかった。それは彼女の居場所ではないから、いつかは私の隣に、戻ってくると思っていたから。
 それは半分正解で、もう半分は誤りだった。
 最初から、香澄には居場所なんて必要なかった。彼女にはただ、そのとき自分を好いてくれる誰かが居ればよくて、それが永遠である必要などなかったのだ。
 ファインダーを覗くたび、シャッターを切るたびに、それを思い知る。ここにいる香澄は、この瞬間の香澄でしかないのだ。彼女の世界は連続していない。飛び石のような無数のフレームを、ひょいひょいと器用に渡り歩いている。
 私が疫病神というのも、あながち間違いではないのかもしれない。彼女たちを写真に切り取る行為は、彼女たちをほんとうの香澄から切り離すことでもあったのだから。
 私というフレームは、香澄にとっては便利な中継地点でしかない。いつでも帰って来られるし、いつでも出て行ける。共に過ごした時間は、累積すれば長いかもしれないけれど、決して永遠に留まることはあり得ない。
 それを見誤って、勘違いして、自惚れて。
 香澄に依存していたのは私のほうだと、気づいてしまった。
 香澄はもう私の隣に帰ってこない。彼女はまた新しい飛び石を探し続け、あるいは別の中継地点を見つけるかもしれない。けれど、それは決して香澄の特別にはなり得ない。私がそこに居られたのも、ただ長い時間を過ごしたという偶然によるものだったのだから。
 だからもう、私は、必要ない。
 
 事前にお願いしたのは、現像とインデックスの印刷だけだった。二十七枚ぶんの印刷費はそれなりの金額になってしまうし、そもそもきちんと写っている保証はないし、香澄と恋人たちとの写真を私が飾っておく理由などどこにもない。
 だから私は、一通り写真を確認して、もしも写りがそれなりに良ければ……最初の写真がきちんと撮られていたなら、それだけは、印刷してもらおうかなと思っていた。
 別に香澄のことを引きずっている訳ではない。ちゃんと私の初恋に区切りをつけて、清々しく忘れてやろうという、それだけのことだ。……それだけだ。
 雑念を振り払うように咳払いをしながら、薄緑色の封筒を受け取る。劣化は少なかったですよ、という店員の説明を聞いて、少し安堵している自分が腹立たしい。
 インデックスには、二十七枚分のサムネイルがずらりと並んでいる。そのどれもが、香澄と、その時点での彼女の恋人を写したものだ。そしてその左上、一番と番号のついたサムネイルには、ぎこちない表情の私と、香澄の笑顔が写っている――はずだった。
 
 
 私の視線は、その一点に吸い寄せられる。
 これは、いったい、どういうこと?
 動揺と疑問に埋め尽くされた頭の片隅で、ふっと香澄の言葉が蘇った。
 
 
 玲奈じゃなきゃ、意味ないんだよ。
 
 あのとき、香澄は、――何を考えていたのだろう。
 
 
 時計の針は、揃って十二の文字を指そうとしていた。
 印刷は後にするとを告げた私は、写真屋を出て、目の前に停めていた自転車に飛び乗る。新幹線の時間には、もう間に合わないかもしれない。けれど。
 香澄に、訊かなくちゃいけないことがある。
 ペダルにぐいと力をこめて、駅までの道を一心に駆ける。まだ冷たさの残る春風がびゅうと強く吹いて、周りの木々がざわめいていた。
 
 カメラに残っていた一枚目の写真。
 そこに写っていたのは、薄桃色に染まる桜の木を背景に、いつもと変わらない笑顔を浮かべている、香澄ひとりの姿だった。

写真の話(6)


「ねえ、ちゃんと写ってた?」
 県外の私立に進学が決まっている香澄は、明日には家を出るのだという。少しでも早く新しい環境に慣れるため、親戚の家にお世話になるらしい。
 つまり、私と香澄との腐れ縁も、今日で途切れることになる。
 卒業式が終わり、最後のホームルームも終わり、あちこちから涙まじりの声が聞こえる教室の中。私と香澄は窓際の机に寄りかかりながら、窓の向こうを見つめていた。
「まだ見てない。今日は疲れたし、明日の朝にでも受け取ってくる」
「なんだ、残念」
「そんなに見たけりゃ何で」
「玲奈じゃなきゃ意味ないんだよ」
 結局、私は最後の最後までこいつから振り回されることになるらしい。
 自分勝手を絵に描いたような香澄の姿は、誰にでも愛想を振りまくいつもの姿よりも、よほど人間らしく思えた。けれど、こんな姿を知っているのは私だけだし、こんな姿に惹かれてしまったのもまた、私くらいのものなのだろう。

 香澄の人に好かれる才能は、ほとんど天性のものだ。
 仮面で素顔を隠し、言葉巧みに相手を惹きつける、それは紛れもない技術。
 けれどその奥には、彼女自身から滲み出る、魅惑の香水が眠っている。

 最後にもう一度だけ、試してやろうと思った。
「あのカメラね、やっぱりだいぶ劣化してるんじゃないかって」
 わざと香澄から視線を逸らしながら、私は告げる。何でもないことのように。
「最初のほうの写真とか、元の色が出ないだろうだって。よく分かんなかったけど」
「うん」
「補正できなくはないらしいけど、断った。そのままでいいって」
 だから、私と香澄の思い出は、色褪せたままだけど。
「それで、良かったでしょ?」
「うん、良いよ、それで」
 香澄もまた、何でもないことのように答える。それだけだった。
 机の上の鞄を取り上げて、卒業証書を突っ込む。これ以上、香澄と話すべきことが見当たらなかった。さよならもまたねも言わない。香澄の方を見ないようにして、私は鞄を肩にかけた。
 ――やっぱり、あんたに私は必要なかったんだよ。
「新幹線、明日のお昼なんだ。見送りに来てもいいよ」
 誰が行くもんか、と心のなかで吐き捨てて、私は教室を後にした。

写真の話(5)


 春の気配が肌を包み始める頃、私は香澄に呼び出され、疫病神の最後の仕事が済んだことを聞かされた。二十七枚目の撮影を終えてから、二週間ほどが経った日のことだ。
「鏡見たほうがいいよ」
 私は自分の頬を指差しながら言ってやる。過去二十七回のうちで最も壮絶な別れ方だったことはすぐにわかった。破局の現場に直接関わったのは最初の一回だけ――そもそも、私が当事者だった時の話だ—―だからもしかすると、これまでにも修羅場と呼べるような事態はあったのかもしれない。しかし私の知る限り、香澄の頬にくっきりと紅葉が残されたのは初めてのはずだ。これまで散々人の心を弄んできた彼女には、相応しい締めくくりだと思う。心の奥底で小さく、いい気味だ、ざまあみろ、と呟いた。
「ひどい振られ方」
「違うよ、私が振ったの」
 その言葉は、少なからず私を驚かせた。愛想を尽かされるというか、本性に気付かれるというか、香澄の恋はいつもそうやって終わるものだと思っていた。人から好かれようとする彼女は、同じくして人を嫌うまいとする。自分から誰かを遠ざけるような行為は、避けるものだと思っていたのに。……私自身、彼女に振られたクチではあるのだが。
「何も今日じゃなくてよかったのに」
 煩雑な思考から目を背けて、私は吐き捨てるように言った。香澄は苦笑いを浮かべていて、それから、ポケットにつっこんでいた左手をこちらに差し出してきた。
 手の内にあったのは、見慣れた使い捨てカメラ。
 先日最後の一巻きを終え、めでたく撮影機能を失ったそれは、改めて見ると本当にぼろぼろの品物だった。有効期限はとうの昔に切れていたのに、ついこの間まで現役だったのだから無理もない。あまりいい思い出はないけれど、一応は私が使っていたカメラだ。心のなかでお疲れ様と声をかけて、そしてカメラと香澄の顔とを見比べる。
 その真意に気付いた瞬間、私は思わず、え、と声をあげてしまった。
「あげる」
「いらないよ」
「ええ、なんで、もらってよお」
 香澄は不満そうな声を出していたけれど、そんな顔をしたいのはこっちのほうだ。そもそもどうして私がこれを貰うと思ったのか。私が写っているのは最初の一枚だけだし、それだってちゃんと撮れているか、古くて劣化していないか分かったものではない。
「なんでって……いらないってば」
「私だっていらないし」
「おまえな」
「玲奈にお願いしたいんだって、お願い」
 空いた右手を顔の前に掲げる香澄。その姿はどこかで見覚えがあるような気がして、すぐに思い当たる。何のことはない、私がこのカメラで写真を撮るようにお願いされた、一番最初の時のことだ。何度断っても香澄が食い下がってくるから、言う通りにしてしまったんだっけ。
 あのとき、香澄は何を思っていたのだろう。
 ……彼女の考えていることは、昔も今も、分からないままだ。
 結局私はまた、半ば押し付けられる形で使い捨てカメラを受け取ってしまった。
「明日には現像してね」
 香澄は言いたい放題で、それからすぐに帰ってしまった。私には文句をいう隙すら与えない。溜め息すらも出てこなかった。
 けれど、私はきっと、香澄の言う通りにしてしまうのだろう。

 何度も写真を撮ってきた今なら分かる。
 何度写真を撮っても、変わらないものがあること。
 香澄には私しかいない、なんて間違いだったってこと。

 春を告げる風に、桜の花びらが舞う。  私たちの卒業式は、明日に迫っていた。

写真の話(4)


 それは自惚れでしかなかったのだと、今になれば分かる。
 香澄が私の前で自分を取り繕わないのは、今更何かを隠す意味も、わざわざ好かれようとする必要もなかったからだ。小学校に入学したときからの付き合いで、香澄がどういう人間かを私はよく知っている。好きであろうが嫌いであろうが、切り離せない関係がそこにはあった。
 それでも、彼女が自分の前では本当の姿を見せるという事実が、私にとっては特別なものに思えたのだ。私だけが香澄を知っている。私だけが、香澄と一緒にいられる。
「勘違いじゃないのかなあ」
 中学一年終わりの春、卒業式の後。
 いつもと同じふたりだけの帰り道で、香澄はそう呟いた。
「何が?」
 それを独り言として受け流せなかったのは、私も、気づいていたからかもしれない。
 いつものように香澄は私の数歩先にいて、こちらを見ないまま続けた。
「さっき校門のとこでさあ、先輩に抱きついてる子いたでしょ」
「ああ、泣いてた子」
「あのふたり付き合ってたんだって」
「それほんと?」
「うん、それで別れたって」
 女の子同士の恋なんて、そんなもんなのかな。
 香澄は、今度こそ独り言のように呟いてから、くるりと私に振り返った。
「玲奈、本当に私のこと好きなの?」
 春風がざわめいて、肩まで伸ばした香澄の黒髪が揺れる。桜の花びらが散る。
 香澄の笑顔はいつもと何も変わりなくて、それが無性に心地悪かった。
 わからない、と私は答えた。それが本心だったからだ。けれど、それを聞いてもなお香澄の表情に曇りは見えなくて、だから私は刃向かうように口を開いた。
「香澄には、私しかいないと思う」
 意表を突かれた、というように香澄は目を丸くして、それから困ったように笑った。
 そうだ、私は今までにも何度か、あの香澄の顔を見たことがある。どこか悲しげで、喉元まで出かかった言葉を飲み込むようなあの笑顔を。
 何かを隠しているときの、香澄の笑顔を。
 それからすぐ、お弁当の中身を尋ねるような気楽さで、別れよっか、と香澄は言った。私は無言で頷き、言葉も交わさないまま一緒に帰った。それが、私たちが今まで通りに戻るための、最も良い方法だと思ったからだ。
 こうして、一枚目の恋は何の起伏も無く終わった。
 香澄が誰彼構わず告白を受け入れるようになったのは、それからのことだ。

写真の話(3)


「写真、撮ろうよ」
 香澄の返事は、イエスでもノーでもなかった。
 最初から期待していたわけではない。自分がどんな返事を聞けば満足なのか、それすらもよく分からなかった。ただ、私が思った通りの言葉を、香澄に告げただけ。
 それでも、その返事があまりにも予想と食い違っていたから、私は思わずぽかんとしてしまい、香澄が歩き出してもしばらくその場を動けなかった。
「玲奈?」
 怪訝そうな顔の香澄がこちらを振り返って、私はようやく我に返った。そんな顔をしたいのはこっちの方だとか、ちゃんとした返事になってないだとか、言いたいことは色々とあったと思う。けれど、そのときの私はただ、香澄の数歩後ろを追いかけることしかできなかったのだ。
 コンビニに寄って、使い捨てカメラを買って、近くの公園に辿りつくまで、私たちはずっと無言だった。季節は夏真っ盛りで、蝉の音がよく響いていたことを覚えている。
 香澄から遅れて公園に足を踏み入れた途端、急にレンズを向けられた私は、咄嗟に両手で顔を隠してしまった。
「ねえちょっと、なんなの」
「だから写真を撮ろうと」
「なんで私の写真……」
「あそっか、玲奈ひとりじゃ意味ないか」
 香澄はひとりで勝手に納得してしまい、それからずいっと私に近づいてきた。
「初めての恋人記念、だもんね」
 身体が引き寄せられる。肩に手が回される。香澄の顔が、私のすぐ隣に現れる。
 目を丸くした私をよそに、香澄はにいっと悪戯っぽく微笑み、私たちの真正面にカメラを構えた。夏の日差しを浴びて、レンズがきらりと光る。
「はい、チーズ」
 ぱちん、と安っぽいシャッターの音がして、私たちの恋は始まった。
 忘れもしない、中学一年の夏のこと。

写真の話(2)


「使い捨てカメラってさあ」
 私の数歩前にいた香澄が、マフラーに顔をうずめたままで振り返る。
「有効期限みたいなのなかったっけ」
「あったと思う」
「もう駄目になってんじゃないの」
 当たり障りのない言葉で日誌を埋めた私は、そのまま香澄と帰り道を共にすることになった。まだ部活動の続いている時間帯で、辺りに学生の姿は見当たらない。ちらりと腕時計に目を向ける。次の下り電車に間に合うかどうか、やや微妙な時刻だった。
「んー、でもちゃんと撮ったでしょ、昨日」
「そりゃ一応は撮れたけどさ」
「まるっきり壊れてるんじゃないなら、それでいいよ」
 さむぅい、と呟きながら肩を縮こまらせて、香澄はさくさくと足を進めてしまう。まだ空は明るいけれど、今日は一段と冷え込みが激しいようだった。風通しが良い冬の待合室で一時間も待つのは堪える。私は彼女に合わせて、少しばかり歩みを速めてやった。
 私も香澄も帰宅部で、乗る電車も同じだけれど、一緒に帰る機会はあまりない。高校が一緒になったのも示し合わせてのことではないし、特別に仲が良い関係とも言い難かった。何より、香澄はいつも新しい恋人を連れているから、普段は私の入る余地がない。
 ただ、香澄も時々は、好かれる自分に疲れることがあるのだろう、と思う。
 香澄は、私の前で自分を取り繕うことはしない。そもそも十数年の付き合いで、彼女の素の姿なんてとっくに知ってしまっているのだ。だからこそ、香澄は私に気を遣うことはないし、私のために自己犠牲をすることもないし、今だって私に構わず歩き続けている。……というか、こいつは私を待ってたんじゃなかったのか。勝手に文句を言っておいて、結局自分の勝手を通すのなら、ひとりで帰れば良かったものを。
「最初のほうの写真とかさ、もうフィルム駄目になって、色褪せちゃってたりして」
 さいしょのほう、をわざと強調するように言ってみる。けれど、香澄はただふうんと言葉を漏らすだけで、特に関心があるようにも見えない。
「写ってればいいよ、それで」
 その言葉に思いの外傷ついている自分に気づき、私は少々面食らった。
 何を期待してたんだ、私は。
 動揺を誤魔化すように早歩きをして、香澄の隣に並ぶ。
「香澄がいいなら、それでいいけどさ」
「ま、残り五枚でしょ、あと一年もすれば確かめられるよ」
「一年、って」
 それはつまり、一年以内に五人と付き合って別れて、ということ。私は溜め息を吐く。それが突拍子もない考えだからではない。香澄にとっては、そのくらいのペースが普通だと思ってしまったからだ。
「別にそんな急がなくてもいいじゃない、もっと長続きさせてさ」
「いやいや、だって、さ」
 突然、香澄がその場に立ち止った。私もつられて足を止める。香澄はくるりとこちらを向いて、それから、

「一年したら、卒業だよ、私たち」

 ひゅう、と私たちの間に冷たい風が吹いた気がした。
 香澄はまた、私を置いてすたすたと歩き始めてしまう。私は慌ててその後を追いながら、一瞬だけ見えた香澄の表情を思い出していた。
 どこか困ったような、悲しそうな笑顔だった。


 香澄のこれまでの恋愛を記録した、使い捨てカメラ。
 その最初の一枚。もう色褪せているかもしれない、一番最初の写真には、私と香澄が写っているはずだ。

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